亀ソロコンの話

10ksライブ後のいろんな気持ちをブログに書き込んでから1年あまり。

 

人間とは弱いもので時間がたつにつれ、充電期間の寂しさ、苦しさ、つらさ、やりきれなさ、悔しさ、他グループへの嫉妬、いろんな感情が複雑に交差して、特に昨年の秋から冬にかけては、亀梨君の露出もほとんどなく寂しさはとてつもないもので。正直、気持ちが折れそうなときが何度もありました。

 

とはいえ、ちょっと浮気してみるなんてことできるはずもなく、日々もやもやしてました。帝劇のジュニア舞台にゲスト出演してロスマイを歌ったと聞いたときは悲しいやら悔しいやらどうしようもない気持ちになりました。

もちろん、そのとき、亀梨君がファンに向けて来年は「みんなのところに飛んでいくから」みたいなことを言ってくれたのは嬉しかったけれど。期待してあると思ってなくなったことが今まで何度あることだろう、そう思うと、ぬか喜びはできないし、もやもやは募るばかり。年末年始も音楽番組見るたびに憂鬱になり、なんか精神的にもおかしくなりそうでした。カメールを送ってきてくれないことにもやもや。女優さんとの熱愛記事にもやもや。もやもやだらけの年末年始を終え、2月に入り、PとJKの番宣が始まり、ようやく気持ちが上向きになってきたときに、ドラマ「ボク運」主演と亀と山P復活の知らせに一気にテンションあがりました。単純なもので、そこからはもう、怒涛の忙しさでついていくのに必死。映画連続公開に24時間テレビ

そして待望のソロコン。

本当にやってくれるとは。あの曲が聞きたい、見たい、いろんな妄想をふくらませながら待ち望んだ初日。運よく参加できた、そのステージは言葉には言い尽くせないほどの圧巻のステージだった。

(以下ネタバレあります)

 

 会場に入ると懐かしい椅子が。一曲目は00’00’16

さらに離さないで愛プラティアと大好きな曲が続く。そうこんな亀梨君が見たかったのよ。バックを背負って、ガシガシ踊って歌う。待ち望んでやまなかった亀梨和也の姿に自然と涙があふれてきた。

そしてドリボが復活した。2012年最後のドリボ。運よく3回観劇できたが、もう二度と見れないと思っていた。ロスマイ、BAD DREAM。人生を変えるくらいの衝撃を受けたこの二曲がもう一度見れるとは。フライングを含め、しかもほぼ理想通りの再現で。さらに1582と殺陣、これでもかと亀梨ワールドを繰り広げる。なんてぜいたくな時間なんだろう。

人間、本当に感動すると声も出ないんだね。初めて知った。正直、息もしてなかったのではないのだろうか、というくらい、直立不動で口を開けたまま固まっていたと思う。その時の私。

たぶん、アミーゴ終わったあたりで、もう正気を失ってたかも。これ夢なんじゃないか、と何度も思ったくらい。MCでは、素のかわいい和也があふれているし、ロックコーナーではかっこいい和也、そしてFollow Me。

いや、もう、私は12年間、見てきたけど、亀梨和也、すごい人だと思ってたけど、さらにさらに超えてきた。ロスマイ見れたら思い残すことはない、と思ってた私が、終わってみたら、フォロミ見れたから思い残すことはない、に変わってたから。常に最高値を更新してくる。さすがですよ。最高ですよ。エロくてかっこよくてかわいくて。

天才だよ、エンターテイナーだよ。歌も踊りも最高レベルで、正直、相当リハを重ねてきたんだろうな、と思った。ドラマもあって忙しかっただろうに、フライングもポールダンスも圧巻だった。

あまり他ジャニ詳しくないけど、こんなレベルでできる人 他にいるの?

チケット入手困難だし、なかなか見てもらえないけど、光一くんやタッキーなど先輩のファンにも見てもらいたいな。だから絶対DVD化してよね。もったいないよ。ジャニーズの宝だよ。

こんな最高レベルのステージを見せてくれて、本当にありがとうと言いたい。事務所にもスタッフにも何もかもにありがとう。こんな幸せな時間をくれてありがとう。

正直10ksが人生で一番忘れられないステージになったと思ってたけど、また違った意味で超えてきた。やはり亀梨和也は恐ろしく才能のある男なのだ。わかってたけど、わかってたけど、それを再確認できたのが嬉しい。

あんなに絶望的に思えてた充電期間をこんなに幸せな時間に変えてくれてありがとう。今ようやく、充電期間が本当の意味で受け入れられた気がする。

でもね、気づいてしまったことがあって、もちろんKAT-TUN亀梨和也は大前提なのはわかっているけど、亀梨和也だけの歌と踊りが最高に魅力的だということを。人間、一度願いがかなうとよくばりになるね。

最初で最後にはしないで、グループ復活してもソロコンをやり続けてほしいし、未音源化の曲でアルバムだしてほしいし、ソロコンDVDにしてほしい。そんな欲が出てきてしまった。

もちろん要望もたくさんするけれど、亀梨君がこのソロコンを通じて、ソロコンを楽しいと思ってくれることが大前提。だから、これからも参加できる公演は精一杯の声援を送りたい。若くて黄色い声ではないけれど、精一杯頑張るよ。

18日夜の大阪公演でのファンと亀梨君とのやりとりはとても温かくて。フェスティバルホールの空間に愛があふれていた。亀梨君にも十分伝わっていたはず、だから最後ダブルアンコール、きっとやらない予定だったのに出てきてくれたんだと思う。マイクなしで言ってくれた、楽しかったという言葉に再び涙があふれたよ。楽しませてくれたのはあなただよ、と。でもきっと、ファンの愛も伝わったんだな、と思った。

12年間亀梨和也を好きでよかった。いろいろあったけど信じ続けてよかった。亀梨和也がこれからさらに大きくなっていくのを見続けるためにできるだけのことをしよう、頑張ろう、改めて誓った。

 

 

 

10ks もう茶の間には戻れないと決心した日

10ksドームツアー全ステを終え、抜け殻状態の日々が続く中、新規の方や出戻りの方、長くファンを続けてこられている方、いろんな方のブログ、感想などを読み、共感したり、考えたりする日々。私自身もいろいろ考えるところがあったので、記録にと思い、キーボードをたたいています。以下長文です。

昨年11月24日のベスア以降の怒涛の日々。ツイッターを覗くと仕方ないことかもしれないが、いろんな意見が渦巻いていて、ファン同士のたたき合いなどもあり、見てるだけでメンタルがすり減っていた。そして充電期間発表。そのとき、私はドームツアーが終わったら、茶の間に戻ろうと、決心していた。もう疲れた。心がボロボロだった。

 

そもそも、私が亀梨和也という運命の人を初めて認識したのは金八時代。目力のある印象的な子だな、という印象。風間君の演技力に感心しながらも、なぜか寿司屋の息子に目が引き付けられた。「この子きっと将来かっこよくなる」。覚えやすい名前だったこともあり、亀梨和也という名前をなんとなく記憶することになる。でもジャニーズに全く興味なくテレビをあまり見ない生活だったため、正直そのまま忘れていた。その後、何年かして女性週刊誌でジャニーズ新グループ結成の記事でKAT-TUNを知る。その中に亀梨和也の名前を発見し、あの金八の子がジャニーズだったと知る。がそのまま時がたち、私生活で結婚、出産と忙しい時期を経て2005年、仕事と子育ての両立で目が回るほど忙しい日々。ある日、後輩女性からごくせんのドラマに出ているジャニーズがかっこいいと聞く。その一人があの亀梨和也だった。抜群にかっこよくなっていたが、あまりの不良でちゃらいビジュアルに、ちょっと残念な気持ちに。なんだか不良になったのねー、と。

そして、数か月後。野ブタをプロデュース。テレビをあまり見ない私がたまたま、つけていた音楽番組で修二と彰を見る。インタビューに答える亀梨和也は全然不良ではなかった。

あれ、いい子じゃん。実は真面目そう。あれれ、歌うまい。声好き。あれれ、あれれ。私おかしい?好き。この子いい。

いきなり堕ちました。年甲斐もなく。ジャニーズに。でもここから葛藤が始まるんです。ジャニーズ無縁の生活を送ってきた身にとってジャニーズの門をくぐる壁は相当高い。周りにジャニーズファンがいないとなおさら。でも気持ちは止められないから、ひそかにDVDを購入する。海賊帆。そして、never againで脳天を撃ち抜かれてしまう。

何これ、本当にジャニーズ?

私が思っていたジャニーズと全然違う。やばいやばい。歌うまい。かっこいい。

ここから茶の間生活に。過去DVDを買いあさる。神様コン、サマリー、野球大会など。とはいえ、私生活の忙しさも変わらないため、ゆるゆるとした茶の間だった。デビュー、ドラマ連続主演、24時間テレビ、赤西君留学…。いろいろあって、茶の間でも充分忙しかった。CD買って、DVD買って、テレビ録画して。そして2007~08年、次男出産の育児休業。少し時間ができ、熱烈な茶の間になる。この頃からネットで情報収集、非公式本などを読み、ジャニオタとはどういうものなのか知ることになる。知れば知るほど何だか怖かった。ライブDVDで見るファンの子は若くてきれいな子ばかり。ライブ行ってみたいけど、子供いるし…。ぐだぐだ考えてFCに入る勇気はなかった。当時は赤西君との不仲の噂やいろいろたたかれ続けていたこともあり、余計に。あっという間に時間が過ぎ、赤西君脱退へ。後悔した。6人のライブ行ってみたかった。そして、遅まきながらFCに入る。2010年5月。でも行こうと思えば行けた世界コンに申し込む勇気はなかった。主人に言い出せなかったし、子供を置いていくのも無理だったから。

そして次の年、震災でライブ中止。また機会を逃す。舞台ならいけるかな、と思って申し込んだドリボは全滅。やはりジャニーズの壁は高いとおじけづく私。

今から思うと、この頃の自分を叱り飛ばしたい。なぜもっと行動しなかったのか?と。

そしてやっとやっと2012年chain。当時、主人は単身赴任中だったのも良かった。私の母と子供2人と大阪旅行を計画。母には大学時代の友達と会うとホテルで子どもを頼み、一人で京セラへ向かった。ドキドキした。とにかく緊張した。一人で参戦する初めてのジャニーズライブ。まあ、度胆をぬかれた。Bzや福山雅治、ドリカムなどアーティストのライブには行ったことあったが、そのどのライブより楽しかったし、迫力があったし。まあ気球が登場したときには、口をあけたまま、しばらく放心していた。すごい、ジャニーズすごい。初めて見たKAT-TUNはDVDで見るより何百倍もかっこいいし、オーラがあった。何より会いたくて会いたくてやっと会えた亀梨和也様は最高にかっこよかったし、かわいかった、聖がすごくファン思いだったことが感じられたし、中丸君が芸達者だったし、上田君がよくしゃべるしぼけるしかわいい。田口君はテレビ通りに明るくて滑ってた。5人が今まで以上に好きになった。何でもっと早くライブに行かなかったのか、と本気で後悔した。

ここから私はいわゆるオタクになっていった。当初、大阪だけだったが、運よく広島に復活当選でき参戦できることに。広島は大阪以上に楽しくて、近くて、メンバーがエロくてかっこよくて。あー語彙力たりない。熱病にうなされたかのようにこの後、深みにはまっていく。持っていなかった昔の雑誌、昔放送された少クラなどのDVDを探して譲ってもらったり、とにかくはまった。部屋は見る見るうちにKAT-TUNで染まった。主人にももちろんばれた。でももう止められなかった。2012年のドリボはFC全滅だったが、帝劇枠で当選したり、譲ってもらったりして3公演見ることができた。これで私は亀梨和也という人にさらに魅了される。間近で見てその美しさに言葉を失った。こんなに美しい人間がこの世にいるのか、と。通路横を通ったときの美しい顔を見て金縛りにあったような状態になった。なんだろう。どう言葉にしたらよいのかわからないが、この美しい人をずっと見続けたいと願った。

そして妖怪人間ベム公開。舞台挨拶に当選でき、ベム様に会えた。映画も何回も見た。年が明けこの頃、情報収集のため、ずっとためらっていたツイッターを始める。確かに情報は早いし楽しかった。ただ聖の不穏な情報も入ってきた。バー経営のこととか、いろいろ。不安はあったが、新曲、ニューヨークでレッスンなどあったし大丈夫だと思っていた。この頃からツアーを匂わす発言が増えていたし、夏にツアーがあると信じて疑わなかった。俺俺公開、そして舞台挨拶、喜びが続いていたとき、ツアー日程が漏れて、すぐ消えた。少し変更があるかもだけど、絶対あると信じていたから、漏れた日程でホテルも予約したし、行く気満々だった。でも、なかなか発表されないばかりか、聖の状態はどんどんおかしいことに。ラジオ出ない。明らかにペナルティーかな?と感じた。ツアーも消えた。でも5人最後のテレビ出演となった音楽の力は、最高にかっこいい5人だったし、ペナルティー期間が終われば、また5人で活動できると信じていた。そんな思いとは裏腹に、聖のウェブ更新は暗かったし、バウンスガールは配信のみ発売という嫌な展開。そして、亀梨君、中丸君二人の主演、田口君も含め3人のドラマがあるグループとして絶好の機会を前に、聖の脱退が発表された。家族で夕飯を食べていた8時過ぎ。突然のメール。嫌な予感とともに開いて涙がこぼれ落ちた。「なぜ、どうして」

私は聖が好きだった。その不良っぽい風貌からは想像つかないほど中身は熱くてかわいい優しい人だった。何より亀梨君と共演歴も多く、亀を理解し、支え、守ってくれているように思っていた。赤西君留学でつらっかた時期の亀梨君を聖が支えてくれたと思っていたし。ドリボでは、最大の理解者で共演者だった。ファン思いのその言葉から発せられる言葉に安心したし、甘い言葉にドキドキした。だからショックだったし、スッキリなどWSでの亀梨君の表情からもかげがえのない仲間を失ったことが感じられた。でも4人の始動は明らかに事務所の強いバックアップで早かったし、力強かった。すごく悲しかったけど、夢にみた単独カウコン、ミニアルバム、ドラマ、堀田家バンド、追うのが忙しいくらいの展開に満たされたから迷うことなく4人のKAT-TUNについていくことができた。カウコンは最高に楽しかったし、PHENIXの演出は生涯忘れることが出来ない、圧巻のライブだった。

4人なら大丈夫、ここからもう一度天下とれる、信じて疑わなかった。亀梨君の個人仕事も順調だったし、中丸君、上田君、田口君もめきめきと個人で力をつけていたから。

何よりこの頃からようやくファンの友達ができ始めたのが楽しかった。ライブに行ってみてわかったことだが、意外と年齢層高かった。同年代やそれ以上の人もいたし、一人参戦を寂しく感じ始めたこともあり、カムヒアは初めて友人と協力してチケットをとり仙台、北海道、東京フォーラム以外は参戦でき、夢のように楽しい時間が過ごせた。そしてカウコン。バンクーバージョーカーゲームと映画2本に続き、セカラブ。そしてクオーター。この頃がファンとして一番充実して幸せだったかな。クオーターライブでの田口君の涙を、さほど不安にも思わなかった私は、青種子の舞台で忙しい夏を過ごし、いよいよ10周年だな、とワクワクしていた秋。あれ、なんだかおかしいな?という空気を感じる。カウコン発表ないまま、春コン決定のメール。あれ?なんかおかしいぞ、クオーターDVD見て浮かれている日々に不安がよぎった。

もやもやしながら過ごす日々。春コン詳細知りたいなあ、と思いつつデビュー日前後のドームホテル予約したり、準備だけして待ち望んでいた11月24日。仕事中だった。帰宅してベスアを見るのを楽しみにして仕事をしていたが、スマホのバイブが異常なほど鳴るのが聞こえる。嫌な予感。我慢しきれずにのぞいたら、衝撃の事実が。そこからは涙をこらえて仕事をするのがやっとで記憶がない。仕事終わりで友人と電話し、事実だと再確認。帰宅して録画を見ようとつけたがあいさつだけしか見れなかった。つらくて途中で切った。今もまだ見返してない。いつか見れる日が来るのだろうか恐怖の赤コートを。

田口君に対しては、本当にいろんな意見があると思う。結局、理由もあやふやなままだ。ただ私は、アイドルでも人間なんだから結婚すればいい、と思っている人なので、明らかに田口君を叩きまくっている状態のツイッターを見るのがつらかった。4人になったときと違い、ファンがバラバラになっていた。意見はさまざまだと思うし、それぞれ理解はできるが、私は4人になったときとは違う、このファンの状態にとまどった。怖かった。確かに、10周年、期待していたことはたくさんあった。でも失ってしまった。大好きな大好きな冠番組まで。悲しくて悲しくてつらくて仕方なかった。そして3人のKAT-TUNを見ることさえできなくなる。その事実に打ちのめされたし、悲しみ、怒りを何にぶつけてよいのかわからなかった。でも、大好きだった田口君を嫌いになることはできなかった。だって、メンバーが許していたから。大好きな3人が許している人を、私が憎むことはできない。

山猫、シングル2枚、ベストアルバム、少プレ最終回、Mステ、タメ旅最終回、一つずつ終わっていき、幾度となく泣き、田口君は去っていった。この時、ドームライブが終わったら茶の間に戻ろうと決めていた。もう心が疲れはてていた。

 

そして4月3日。名古屋。泣いた泣いた。でも楽しかった。やはりライブは3人でも最高だった。20日、泣いた。天井から見た景色はきれいで、このまま時間が止まればいいのにと思った。29日、唯一のアリーナ。迫力でお腹の底からライブを堪能できた。そしてMOONで狂った。子宮がうずいた。30日、亀の口から6人の名前が出た。この人は本当にいろんなことを理解し、いろんなことを考え、そしてここに立っているんだなあ、と改めて感じた。田口君のことがあってからのファンの状態に誰よりも心を痛めていたのではないだろうか。想像にすぎないが、そう思うと心が痛くて痛くて仕方なかった。名古屋以降、亀梨君の言葉からは、将来が見えなかった。常に言葉を選んでる気がした。嘘をつかない亀梨君が、苦しそうに言葉を選んでいる気がした。だから聞いててつらかった。

そして5月1日。私はこの場所にいれたことに何より感謝している。最高に幸せな空間だった。いろいろあったけど、いろんな考えを持った5万5000人が集まっているけれど、KAT-TUNを愛しているという気持ちで団結していた。本当に幸せな空間だった。5万5000人が3人と愛を交わした。そんな時間だった。そして、亀梨君の口からやっと、KAT-TUNの亀梨和也としてまたここに立ちたい、という言葉が聞けた。この時、私は、茶の間には戻れないとさとった。この人を3人を幸せにするために、微力ながら私の力と、時間と、財力を使おうと、決心した。それくらいの幸せな時間をもらったから。

ライブが終わり、あっという間に18日がたった。今は、遠距離恋愛の彼に、思い切り抱かれて、幸せなはずなのに、もう飢えている状態だけど、ツイッターやブログでは、ファンみんなが、回顧したり、いろんな画像を楽しんだり、思い思いに余韻に浸りながら、充電期間を過ごそうともがいている。そんなファンの姿が愛しいと思う。KAT-TUNを好きになって良かった。だから、できる限りの力で闘うよ。また会える日まで。